ソフトウェアエンジニア現役続行

雑多なことを綴ります

ダイバーシティ

ダイバーシティという本を読みました。
きっかけは、自分の部署に外国人が来て、そのときに上司から「ダイバーシティ・マネジメント」という言葉を聞いて、興味を持ったからです。ダイバーシティとは英語で「多様性」のことです。

読みやすくて、そしてとても考えさせられる本でした。

本書は2部構成になっていて、前半は「六つボタンのミナとカズの魔法使い」という物語で、後半はアメリカの大学の社会科学の講義で「ライオンと鼠」という物語を通じて先生と生徒が日本とアメリカ文化の違いを議論し、そこから今の日本の社会問題を指摘しています。

前半は、社会科学的問題を考えるための「生きた素材」としての物語で、とても分かりやすく楽しみながら読み進められました。

後半では、今の日本の社会問題として、現在の子どもや若者の自尊心が低いことを指摘しています。

それよりもっと大きな問題は、日本の子どもの自尊心が低いことである。
1990年代の半ばに、ベネッセ教育研究所は、11歳の小学生の国際6都市比較調査によって、恐るべき事実を明らかにした。東京のおいて自分を「正直な子」「親切な子」「勤勉な子」「勇気のある子」とした子は、それぞれ10数%にすぎないというのである。
一方、アメリカのミルウォーキとオークランド、ブラジルのサンパウロ、中国の北京などではどれも40%以上で、アメリカでは60%以上にのぼる項目もあった。


また、別の社会問題として、「空気を読む」ことが会話をとても非合理的なものにしていると指摘しています。

現在の日本の若者の対話には消費的価値しかない。皆で集まって、面白おかしく楽しんで、ノリにノって、ああ楽しかった。それでおしまい。そのときはよい。でも人がバラバラになったら、宴の後みたいに、空っぽでむなしいだけ。寂しくてしょうがない。将来にも全然つながらない。そういう対話だ。そして、たまに生産的な対話を持ち込む者がいようものなら「疲れる」と拒否する。思考や想像を要求される対話を不快と感じるほど、対話が消費的になっている。

日本では会議などの意思決定の場でも「空気を読んで」行動する人が多い。自分が少数派になって、孤立することをいやがるからだ。でも、そうやって「空気を読んで」行動すると、「空気に合う」情報は出すが「空気に合わない」情報は出さないということになりかねない。つまり、会議での合意は、偏った情報だけで達成されることになる。または、会議の最初のほうで誰が何を言ったかに基づいてみなが「空気を推測する」結果、どういうふうに議論が始まったか、というような偶然の事柄に結論が左右されかねない。これも非合理的だ。


そしてこれらの問題の解決策を論じる上で、ダイバーシティを強調しています。

社会が変わる必要がある。どう変わるべきかというと、これは僕の考えにすぎないけれど、社会にいる一人ひとりの才能が十分開花し、発揮され、そしてそういう社会だということをみなが信じられるような社会になることだ。
(中略)
人々の個性が生きてこそ全体として一つの豊かな創造になる、ということだ。そして、それこそダイバーシティの真価を示している。つまり、みながそれぞれ違うからこそ、一緒にクラスを作れば、似たような人間が集まってできるものより、はるかにすばらしい創造に結びつく。


上記のような論理を展開する上で、社会背景の説明がとても丁寧で分かりやすく、また、さまざまな論文や著書などの資料を紹介していて、とても説得力がありました。それでいて読みやすかったです。

とても良い本だと思いました。お勧めです。